"生きる"を楽しんで

生きるしかないなら、さて、どうやって生きようかなーってずっと考えてます。あなたも一緒に考えてみませんか?

13 青い鳥はいましたけれども

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青い鳥を探していたら

実は家にいましたなんて

そんな童話を小バカにしていた

「いやいや普通気づくでしょ」と


まさか

そんなことが自分の身にも起きようとは




私は

“まだ幸せになっていない”と思ってた


だって

“幸せ”とは

コウノトリが赤ちゃんを運んでくるように

時がきたら私に運ばれてくるものだと思っていた

または

今幸せで“ない”のだから

“幸せにならないといけない”と思っていた




それなのに…



深夜三時

突然開け放たれた心の扉をのぞいたら愕然とした



“幸せ”を  

私はもう持っていたのだ


あるいは

“幸せになっていた”

と言ってもいい



だって

家族が健康で、仲良く笑顔で笑い合っていて

何にも制限されていなくて自由で

穏やかな時間があって

責められもせず受け入れられていて



それらってきっと

俗に言う“幸せ”なんではないだろうか



あぁ

なんてことだろう

私は“幸せ”だったんだ



溢れ出す涙は

決して喜びではなくて

でも

悲しみでもない

一言では言い表せない感情が渦巻いて溢れ出してくる


あぁ

確かに“幸せ”は

私のそばにあった



でも

“幸せ”であるが

“生きることが楽しい”わけではない


私は“幸せ”であるかもしれないが

心が晴れない


次の瞬間には

どう生きていけばいいのか

どうしたらいいのか

頭をかかえて

考え続けている


リラックスなんてできなくて

“幸せ”あることなんか忘れてしまう


私は

“幸せ”になりさえすれば 

あらゆる問題は

あっという間に通り過ぎるスコールのように

すべてを流し消し去ってくれるものだと思っていた


でも

私の問題は

私の対極に存在していて

未だに私を見つめている


私は“幸せ”ではないのか


私の“幸せ”ってなんなのか



答えに辿り着くには

もう少し時間が必要のようだ








↑深夜三時

私の心の扉を開けたのは

ぼくんち」という西原理恵子先生のマンガだった。

読んだ後、なんだかいろんな感情がごちゃごちゃ出てきて

「あれ?今の私って、それじゃあ“幸せ”なんではないの?」という気になった。

なんてこったー!と驚く感情となんで気付けなかったんでしょ!って感情と、あと、本当にそうなんだろうかっていう感情もあった。

それらの感情にひとしきり振り回された後、残った感情は「本当に“幸せ”なんだろうか?」だった。

だってなんかスッキリしない。

“幸せ”ってもっと、なんかこう…。

んー?

釈然としない。

もうちょっと“幸せ”について考えてみます






最後まで読んでいただきありがとうございます



今日もあなたも私も、笑顔で、リラックスしていていますように



shinonoa